講 演:大久保邦子 場 所:東京ウィメンズプラザ 視聴覚室 プロフィール:1962年(S37) 女子美術大学図案科卒 婦人画報社・講談社勤後 フリーランスライターとなる。地域活動、PTA、国立婦人教育会館ボランティア文部省生涯学習クリエイティブアドバイザーなどを経て 現在、文化ボランティア・アドバイザーとして、2006年3月の第1回「文化ボランティア全国フォーラム」(文化庁委嘱)実行委員長など
今まで単発的なボランテアをしたことがありますが、自分が学べて楽しめるものを捜してみようかなという気持ちになりました。神戸に住んでいた頃は、外国からの友人を京都や奈良に今は成田山や香取神宮に案内しています。 それで感じたことは、私がいかに日本の歴史をしらないかという事。今 成田山の近くに住んでいるので、このお寺の歴史を学び、外国人観光客を案内してもいいな、何人か一緒になら勉強も苦にならないかなと考え始めています。
JDA会員 石毛幸子さん
私にとってのボランティアは、生活する中で小さくても人として当たり前の事をして地域の役に立ったり、国を良くしたい思いでお手伝いをする事です。今回の講演を聞いて改めてボランティアは特別な事ではなくて、普通の事である事をより強く感じました。私の場合は子育てに力を注いだので社会参加よりも家族の事を第一に考えていたので、これから改めてボランティアに向き合う良いチャンスと思いました。
杉並区在住 松井美和子さん
大久保邦子さん
講演会風景
参加者24名 <JDA会員・22名 女子美卒業生・1名 一般・1名>
遠山記念館は、日興証券の創立者、遠山元一が苦労したご母堂の住まいとして作った建物だそうです。さすがに、これ以上の材料はないだろうという感動ものの建物でした。 当日、世界的に有名な染色家として活躍し、昨年惜しくも亡くなられた山辺知行先生の追悼特別展が開かれており先生が何十年もかけて世界中から集めた染色のコレクションが展示されていました。着物好きの私としては、のどから手が出そうなものばかり。繊細な刺繍のストールや、ぎっしり細工したカシミヤのショールなど、職人の技と美に対する情熱に感激ひとしおでした。 楽しみにしていた昼食は、料亭「山屋」。江戸時代の結婚式を思わせるような大広間で、贅沢な気分を満喫した後は、それぞれ自由に川越の街の散策となりました。美しいもの、おいしい物大好きな人達にぴったりのJDAの楽しい研修会でした。
井上美紀(1971年卒)
料亭「山屋」での昼食風景
参加者18名<JDA会員・12名 デザイン科・2名 女子美卒業生・1名 一般・3名>
2005年6月3日 昭和女子大学光葉博物館と虎屋ギャラリーで上記の二つの展覧会を観ました。 『うちわと扇子』展は日本橋の和紙の店「はいばら」のコレクションを中心に展示され、当日は榛原の中村晴子氏とJDAの大柳さんのお話を聞きながら沢山のうちわや扇子を観ました。冷房が普及するまで実用品であるとともに工芸品でもあり、日本画家の作品としても面白く福田平八郎の木版「涼夏」が強く印象に残りました。日の丸に鶴と松の大きな棟上扇、後楽園ののぞき窓の付いた広告応援団扇、戦時の色濃い扇など贈答品としてまた宣伝や行事の記念品として配られた様子が良く解り 時代の流れもかんじられる大変興味深い展覧会でした。 『和菓子 素材がいのち』展は虎屋文庫研究主査 中山圭子氏の説明で小豆・寒天・米・芋・葛粉・砂糖など様々の和菓子の原材料や竹皮・葉・経木・黒文字など周辺のもの、それに和菓子を作るいろいろな道具がきれいに展示されていました。日常の身近なものだけに面白く観る事が出来ました。なによりも和菓子が土地の風土や文化に根差した多様な味を守ろうというスローフード運動の対象になっているという事にあらためて気付きました。 今日の二つの展覧会はどちらも季節感を大事にして、それを生活の中にとりこんで楽しむという日本人の美意識を再確認させるものでした。
大坪和枝(1957年卒)
集まった方はJDA会員11名・卒業生1名・他5名の計17名でした。
去る2月19日(土)午後3時より、国立近代美術館の河野鷹思展会場にて、デザイン科教授仲條正義先生と奈良国立近代美術館の学芸員井上芳子氏による、河野先生のグラフィックデザインについての対談が開かれた。 学芸員の質問形式の対談であったが、河野先生のデザインコンセプトは、常にトータルデザインである事。IDをベースに、又アーキテクトの仕事をベースとしてのグラフィックワークがあるべきという考えでいらした。 又、クライアントと直に応対してのデザインワークを理想とされていた。デザインのアート性としては、初期にはフリーハンドの作品が多いが、これは余りにも忙しい中での策であったと思える。 後に定規を駆使してのワークとなるが、キリッと揃ったデザインを特に好まれた。 戦後の高度成長時代とともに、特に東京オリンピック開催時期を契機にグラフィックデザインが一世を風靡した。そこで活躍されたデザイナーの1人であった。 その頃、我JDA発生の母体であるデザイン科が図案科から名称を変えた時に、河野先生は、女子美術大学デザイン科の教授であった。この頃に教えを受け懐かしく思う人や、同じく現女子美術大学教授の仲條先生を懐かしく思うJDA会員約10名と多くの若者が拝聴して会は盛況であった。
河鍋楠美さん(暁斎の曾孫で女子美創立時に日本画を教えていた暁翠の孫。河鍋暁斎記念美術館館長。医学博士。)をお迎えして今回の展覧会の作品の見どころをお聞きしました。ギャラリー横の東京駅建築当初の赤れんがの壁がオシャレなカフェでお茶を飲みながら、河鍋さんの歯切れの良いお話に皆さん引き込まれていました。お話の後に展覧会を見て回りました。作品の話を聞いた後なのでその作品の出来上がる経緯を思いながら見る事ができ、河鍋さんと学芸員の田中晴子さんが質問に答えながら会場を廻ってくださいました。国芳は空間の取り方がダイナミックなのと構成にとんちがあるものが多くありました。圧巻は暁斎の新富座の引き幕で、大きさや勢いのある筆だけでなくギャラリーにかこまれて一気に描かれた作品だそうです。参加された皆さん大変満足されて解散しました。参加できなかった方もまだ会期が残っていますので是非江戸の元気な師匠と弟子の展覧会をご覧になってください。作品数が多いので時間を取ってゆっくり観たい展覧会でした。集まった方はJDA会員13名・女子美卒業生1名・学生2名・外部関係者7名の合計23名でした。
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